2016年3月に、弁護士業界の現状と今後(2016年3月)というテーマで自分なりの意見を書きましたが、それから約1年が経ちました。
改めて、現時点での弁護士業界の現状について、自分なりの感想を書きたいと思います。やはり取り留めのない長文になってしまいましたが、地方の現役弁護士のリアルな実感だと思ってお読みいただければ。
【弁護士業界の現状。2017年2月】
斜陽産業化、少なくとも経済的側面という一側面から見た場合の弁護士業界の魅力低下は、もう疑いの余地のない事実(評価)だと思います。
前回のブログ以降、弁護士の所得について正確な統計が出ているわけではありませんが、弁護士一名あたりの収入という面から見た場合に一貫して減少傾向にあることはほぼ間違いないと思います。市場規模が変化なし(というか縮小気味)なのに弁護士の頭数が増加しているわけですから当然でしょう。
悲惨なのはその影響で、司法試験を目指す学生等が大幅に減少していると思われる事態になっています。
法科大学院の志願者は、私が法科大学院に入学した2006年の約4万人から、2016年は約8200人まで減少しました。この数値を知ったときは正直言ってだいぶ引きました。「志願者数5分の1!?司法試験を目指す人がそこまで減っちゃっているのか・・・優秀な人財が司法試験を人生の選択肢として選ばなくなってきているのか・・・」と。
もちろん、司法試験を受けたらトップレベルで合格できそうな超優秀層は、少なからず予備試験を合格し、法科大学院に入学することなく司法試験を受けることができますが、その分を割り引いて考えても、「司法試験離れ(法学部離れ?)」は顕著であるように感じます。
司法修習修了者の進路別推移を見ても、合格者の減少率以上に、弁護士を進路として選択する人の比率は下がっているようです。自治体の任期付き職員や企業の法務部に入社する等、「その他」の進路がこれまで以上に多く見出されていることも当然影響しているのでしょうが、弁護士という職業への魅力が以前より減っていることも一因なのではないかと思います。
これまで各種メディアは、「もっと潜在的需要があるはずだ」、「もっと弁護士の魅力を発信せよ」という、正直言って抽象的極まりない、聞き飽きた感じのある論調の記事を発信してきましたが、そんな潜在的需要は、少なくとも現時点では存在しないのだと思います。
正確に言えば、「弁護士の経済的魅力を維持できるだけの、経済的リターンが期待できる潜在的需要はない」ということだと思います。経済的リターンを考慮しない(無償又は低額リターンの)潜在的需要であれば、そんなものは勿論あるでしょう。「タダで車がほしい」、「タダでラーメン食べたい」という需要であればいくらでもありますが、それを「需要」だという人はいないはずです。
もちろん、弁護士が手を差し伸べるべき、経済的リターンがおよそ期待できない潜在的需要(救済すべき経済的弱者や法的問題)は存在しますし、弁護士の使命としてそういった問題に取り組むべきことは勿論です。金儲けばかり考えて弁護士としての使命、美学又は矜持を持たない弁護士は、同業者から最も忌み嫌われ軽蔑される存在と言ってよいでしょう。
ただ、そのような公益的活動を十分に行う上で最も大事なことの1つが、皮肉にも「経済的基盤の盤石性」であることもまた事実であると言わざるを得ません。顧問料でも報酬でも何でも構いませんが、無償活動に時間を割いても事務所経営が揺らがないだけの経済収入がなければ、公益的活動に十分に力を割くことはできないのが現実です。
弁護士や医師等の専門職種は、基本的に「自分の時間を売る商売」であり、自身が持つ専門的知識や専門的スキルを用いて、自分が実際に働いた時間に対して経済的対価を受け取る職業です。家賃収入のような不労所得(権利収入)は基本的になく、せいぜい顧問料がそれに近い収入形態として存在するにすぎません(その顧問料ですら、全くの不労所得かと言えば全然そんなことはありません。)。
そのような収入モデルとなっている職業にもかかわらず、事件の減少や弁護士費用の低額化の流れ等の影響で、弁護士の経済的基盤は大きく揺らいでいます。
経済的基盤の確立のために個々の弁護士ができることは、前回ブログで書いたとおり、①ニッチトップを目指して自分のブランドを確立する(自分が活動する経済コミュニティの中で、「この分野の弁護士ならコイツだ!」という絶対的地位を獲得する)、②自分の顔や名前をできる限り売っておいて「誰か弁護士を!」となったときに自分がファーストチョイスに来るようにしておく(事件を獲得できる確率を上げておく)、といったことくらいしか思いつきませんが、それらと並んで今後大事なことは、やはり消費者側(依頼者側)に、弁護士という職業や弁護士業務に関する正確な情報発信をしておくことではないかと思います。前回ブログから約1年が経ちますが、その思いは一層強くなっています。
【弁護士という職業・弁護士業務の特殊性】
上に書いたとおり、弁護士は「働いた時間に対して経済的対価を受け取る職業」です。
しかも、弁護士が取り扱う事件は、大枠としては「相続」だとか「債権回収」だとかに分類できるものの、基本的に1つ1つの事件が全く別物であり、弁護士の事件処理も基本的にフルオーダーメイドとならざるを得ません。そのため、事件処理を類型化・定型化して安価で大量処理する(バンバンさばいていく)等ということは基本的にできません。ほぼ全ての事件類型において、それをやったら十中八九、弁護過誤を犯すと思います。
したがって、一見単純だと思える事件であっても、弁護士は、最低限、①相談者からの事実関係の聞き取り、②聞き取った段階での大枠の事件処理の方針・方向性の調査及び絞り込み、③聞き取った事実関係を裏付ける証拠・資料の収集、④収集した証拠の内容確認、⑤証拠がどの程度の証明力を持つかの評価(特に、訴訟になった場合に立証できるかどうか)、⑥これらの作業を経ての最終的な事件処理の方針の決定、⑦相手方との交渉、訴訟準備等の実際の事件処理(当然1つ1つの事件で中身が異なります)、という作業をしなければなりません。
フルオーダーメイドであるがゆえに、本来ならば時間がかかりますし、時間がかかれば当然それ相応の費用を頂かなければなりません、本来ならば。
しかし、昨今の弁護士増員の影響で、弁護士業務の特殊性に対する理解が不十分なままに費用の低額化ばかりが進んでしまい(意識されてしまい)、消費者側も一定程度は費用が低額となることを、ある意味当然のことのように期待するようになってしまった印象があります。
そのような流れ・傾向は、結局は、「弁護士費用の単価を安くする」→「事務所経営を維持するためには多くの案件を受任せざるを得なくなる」→「事件1件あたりに割ける処理時間が減る」→「本来フルオーダーメイドにもかかわらず、回転数を上げるため、型にはめた事件処理・中途半端な事件処理をするようになる」という事態を招き、消費者側(依頼者側)にとっても供給者側(弁護士側)にとってもメリットのない、不幸な結論を導くだけではないかと危惧しています。
「オーダーメイドのスーツが既製品のスーツより高い」というごく当たり前のことが、弁護士業務においては消費者側に十分認識されていないのではないかと思いますし、そのような事態を招いた責任が誰にあるかといえば、それは間違いなく弁護士側にあるのだと思います。
大多数の一般人にとって、弁護士は「敷居が高く」「別の世界の人」であり、「知り合いや親戚にも1人もいない」でしょうから、消費者側に弁護士の実像を把握するよう求めるのは不可能でしょう。供給者である弁護士側において、「高いと思われる弁護士費用は実はそれほど高くないことが多いこと」、「その理由が原則フルオーダーメイドという弁護士業務の特殊性にあること」ということを、批判を恐れずに発信していかなければならないと思います。
そういった情報発信をして弁護士の実像・弁護士業務の特殊性を正確に理解して貰った上で、それでもなお消費者側(社会の側・世論の側)が、「そうであったとしても費用の低額化を指向してくれ!」と決断するのであれば、そのときは我々弁護士側が、費用体系であったり業務体系であったり事務所規模だったりを見直さなければならないと思います。しかし、現時点では、消費者側(社会の側・世論の側)が、その判断を適切に下せるだけの前提知識・前提理解をそもそも有していないように思えてなりません。
「社会正義の実現と基本的人権の擁護」という弁護士の不変の使命を十二分に果たせるようにするためにも、このような類の情報発信を増やしていく必要があると思います。
間違いなく、「言い訳だ」、「事業者としての努力が不足しているだけだ」という批判が出るでしょうが、そのような批判を契機として、弁護士の仕事の実態を知ってもらう機会もできるでしょうし、さらに進んで「こんな風に業務を効率化すればもっと低額化できるし問題解決できるだろう、フルオーダーメイドも達成できるだろう!」という建設的な意見も出てるくかもしれません。むしろそんな建設的な意見を拝聴したいくらいです。
本当に取り留めがない駄文でした(笑)。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
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磐城総合法律事務所 代表弁護士:新妻弘道